apollofrog’s blog

サイエンス、物語、こころ。

博士の熱意、バッタと人を動かす:前野ウルド浩太郎「バッタを倒しにアフリカへ」

最近、心の底から何かをやり遂げるために身を削って燃え上がって…ということをした覚えがあるだろうか。誰しも本書「バッタを倒しにアフリカへ」の著者である前野ウルド浩太郎氏を見るとハッとさせられることだろう。

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

バッタを倒しにアフリカへ (光文社新書)

著者は日本では数少ないサバクトビバッタの研究者である。このバッタはアフリカに生息し、「神の罰」と呼ばれる大量発生は甚大な農業被害をもたらす。一度大発生してしまえば駆除が困難で、外国人研究者の参入も少ない。したがって、このバッタの研究は未開ながら、農業を守るために期待される分野なのだ。

本書は、いきなりサバクトビバッタ発生の地、アフリカ北西部に位置するモーリタニアに著者が到着するところから始まる。管理された実験室内における動物の挙動はどうしても野生のものと異なってくるし、夜中に観察できないといった施設上の制約もあるため、野生のバッタの生息地を訪ねたのである。

まず著者の人柄が面白い。本を手にとってすぐ、緑タイツでバッタの群れの中に立つ筆者の写真が目に飛び込んでくる。それに、そもそもウルドというミドルネームが入っているところからして異色である。ウルドとは「子孫」という意味で、モーリタニアでは尊敬されるミドルネームらしく、著者の熱意に感動した当地の研究所長から授かったものという。

それほど著者のバイタリティはすさまじく、苦しい環境でいかに実験を進めていくかが本書の読みどころになっている。言葉が通じないことに始まり、サソリやノミ、ゴキブリに悩まされることもある。暮らしにくいモーリタニアで過ごすというだけでも大変なのに、肝心の実験もなかなか進まない。例えば、バッタ飼育用の金属カゴを大金はたいて買っても錆びて全て使用不可能になるなどの物資的な問題もあるし、そもそもバッタの大群にすら出会えなかったりする。加えて、国民性や文化の違いも、生活や研究の障害になる。お金を払って生きたバッタを集めてもらおうとしても足元を見られたりバッタが死んでいたりするし、あらゆるところで暗に賄賂を求められることもある。

しかしそのあたりをなんとかしてしまうのが著者である。バッタが見つからなければゴミムシダマシ(甲虫の一種)に研究対象を切り替えたり、飼育器具がなければ現地のもので手作りして調達する。人にしても、バッタの発生をパトロールしている人が好むであろうヤギをプレゼントして、大群が発生すれば連絡をもらえるようにする。そうした姿からは、「なんとしてでもバッタの研究がしたい、研究者として生き残りたい」という強い想いが感じられる。

実際、その明るい文章がテイストを薄めてはいるが、研究の世界の厳しさはひしひしと伝わってくる。一般に研究者は、テニュアと呼ばれる任期なしの職に就くまで、数年程度の任期があるポスドクとして研究を行う。その間の研究成果は次に採用されるか左右し、もしどの研究機関にも採用されなければ無職となってしまう。著者はその恐怖とプレッシャーに怯えつつも、モーリタニアでの研究を遂行したのである。

京都大学の白眉プロジェクトに採用されるとともに、ついにバッタの大群に出会う場面が本書のクライマックスである。表紙のなんとも笑える緑タイツの写真は、実はやっと巡り合った感動的な瞬間だったのである。

惜しむらくは、本書ではあまり研究の内容や進め方にふれていないところ。まだ論文として未発表の発見もあるらしく、また、研究者のフィールドワークや立身出世物語を軸に一般の人々に伝えたいという考えの結果でもあるのだろう。今後の活躍と、紀行文と研究の進め方をミックスさせたような新著が出ることを祈っている。

同じ白眉プロジェクトの細博士による著書。研究に用いた実験方法やそのロジックも易しく説明されている。

右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化 (フィールドの生物学)

右利きのヘビ仮説―追うヘビ、逃げるカタツムリの右と左の共進化 (フィールドの生物学)

はじめに

 久々に研究用途以外の文章を書きたくなり、このブログを始めました。ここでは私が読んだ本やサイエンスのトピックなどについて覚え書き程度に書いていく予定です。

プロフィール

 幼少期は小学館の図鑑と生きもの地球紀行にどっぷり浸かって過ごしました。成長とともに生物の行動・生命機構へと興味は移り、学部~大学院は生物学を専攻しました。博士課程修了後、医療関連企業に入社。